これぞ日本の美!芸妓・舞妓さんが舞う京都・五花街の「踊り」
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kyo-trip
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2016年11月22日
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そもそも「踊り(おどり、をどり)」とはどんな意味であり、「舞」とはどのように区別されるのでしょうか?「舞」とは、一定のリズムと振り付けにあわせて一人で踊ること。一方、「踊り」とは、ある程度まとまった人数が集まって同じ振り付けの舞を踊ることを意味します。
※この説明はいくつかある考え方の一つで、唯一の定義ではありません。
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簡単にいうと、踊り手一人ひとりの動きを「舞」、舞の集合体を「踊り」と考えればよいと思います。
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でも、このような言葉の定義は一般的なものにすぎません。京都でいう「踊り」とは、5つの花街の舞妓さん芸妓さんが披露する舞台公演のことなのです。
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京都の5つの花街では、それぞれ舞の流派が決められています。祇園甲部は井上流。宮川町は若柳流。上七軒は花柳流。先斗町は尾上流。祇園東は藤間流。舞妓さん芸妓さんは、所属する花街の流派で舞をお稽古します。
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「踊り」の舞台では、すべての演目を各流派の家元が振り付けます。当然、5つの踊りには強い個性が出ますよね。つまり「踊り」は、各流派の舞の違いを比較しながら楽しめる貴重な機会でもあるわけです。
踊りが開かれるのは春と秋。京の街がもっとも美しくなる季節です
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5つの花街で催される「踊り」の舞台は、春と秋に開催されます。
■春に開催される踊り
1.上七軒の「北野をどり」(3月下旬~4月上旬頃)
2.祇園甲部の「都をどり」(4月上旬~下旬頃)
3.宮川町の「京おどり」(4月上旬~中旬頃)
4.先斗町の「鴨川をどり」(5月上旬~下旬頃)
■秋に開催される踊り
1.祇園東の「祇園をどり」(11月上旬頃)
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春は桜、秋はもみじ。「踊り」を知らせるポスターが出まわるころ、京都は一年でもっとも美しい季節をむかえます。
いよいよここからは、5つの花街が開催する「踊り」をご紹介していきます。各花街の簡単な特徴もチェックしていきましょう!
5つの「踊り」のなかでもっとも有名なのが、祇園甲部の「都をどり」です。ほかの花街の踊りとの共通点も多いので、ボリューム多めでご紹介していきます!
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祇園は、もともと八坂神社の門前にあった小さな茶店が発祥とされています。いまから300年ほど前のある日のこと。八坂神社の参拝帰り、茶店で一服していたお客が店の娘に話しかけました。「なあ、ねえちゃん、ちょいと踊ってくんねえか?」
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…といったかどうかはわかりませんが、お茶と団子だけだと物足りなかったのか、お客が茶店の娘さんに余興をリクエストしたそうです。娘さんがリクエストにこたえて即興で舞を披露すると、お客さんは大喜び!その評判で店が繁盛したので、「じゃあ、うちもやるか!」と、客寄せ目的で舞や歌や三味線を披露し、お酒や料理を出す「お茶屋」が増えていきました。
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お茶屋は八坂神社の門前だけでなく、その周辺にもたくさん集まるようになり、現在の祇園町へと発展していきます。八坂神社は当時「祇園社」と呼ばれていたため、「祇園町」という名前がつけられたようです。
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祇園町だけでなく、その周辺の宮川町、先斗町、そして少し離れた場所にある上七軒など、京都にある花街の名が広まるにつれて、お茶屋で舞や歌や三味線を披露したり、お客さんとお座敷遊びをしたりすることが一つの「仕事」として確立していきます。こうして「舞妓」という名の職業が誕生しました。
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戦前の日本では、女性が就ける仕事は限られていました。そのなかで舞妓さん芸妓さんという職業は、圧倒的な輝きを放つ花形的存在でした。とりわけ祇園界隈で生まれ育った女の子の多くが、自然に舞妓さんへの道を選んだといいます。現在、舞妓さんの修行は中学卒業後からですが、当時は小学生のころから住み込みで舞妓になるための稽古をはじめたそうです。
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祇園町の舞妓さん芸妓さんは、江戸末期には1000人以上、昭和30年代でも500人以上いました。いまでは舞妓さん芸妓さんあわせても100人に届きません。それでも祇園町は京都で最大の花街であり、世界でもっとも有名な観光地の一つであることに変わりありません。
夜の祇園の町並みをよくとらえた映像です。お座敷に向かう途中の舞妓さんたちの姿も見えますね。
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都をどりが行われるのは毎年4月。京都に春のおとずれを告げる風物詩です。
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都をどりの初演は明治5年にさかのぼります。前年に京都で行われた博覧会の余興として企画されたもので、日本人だけでなくたくさんの外国人が観覧し、その芸術性の高さが海外のメディアでも報じられました。当時はいまより舞妓さん芸妓さんの数がはるかに多かったため、公演回数も大規模になり、1日5回公演が80日間続いたそうです。
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都をどりは1日4公演が30日間休みなく続きます(2017年から一部変更があるようです)。出演する舞妓さん芸妓さんたちは、踊りのほかに夜の宴席もいつも通りあるので大変です。この1カ月を乗りこえた新人舞妓さんは大きく成長していきます。
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祇園町のあちこりに貼られる踊りのポスター。祇園甲部で人気の高い舞妓さんをモデルにしています。これを楽しみにしている人も多いそうですよ。
祇園甲部の舞の「公認流派」は井上流です。京都で生まれ発展したので「京舞井上流」と呼ばれることもあります。祇園甲部のすべての舞妓さん芸妓さんは、井上流以外の流派で舞を踊ることが禁じられています。
当然、都をどりの演目も井上流で振り付けされます。人間国宝でもある五代目井上八千代さんが、直接舞妓さん芸妓さんたちを指導し、振り付けを行います。
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井上流は日本舞踊のなかでは歴史の浅い流派です。祇園甲部の舞の流派として地位を確立したのは明治以降のこと。それまでは篠塚流が花街の流行でした。
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京都の花街で流行していた篠塚流は「はんなり」した京都らしい舞でした。井上流は、篠塚流と同じ舞を追及しても勝ち目はないと考え、歌舞伎の要素を大胆に取り入れた舞を考案します。祇園は歌舞伎と縁の深い花街。井上流は次第に勢力を広げ、やがて公認流派として認められるようになったのです。
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しっとりした色気や惰性で動く振り付けを排除した、かなり男性的できびきびとした舞…それが井上流です。
都をどりの会場となる「祇園甲部歌舞練場」は、国の有形文化財に登録されている見事な建物です。美しい日本庭園も見所のひとつ。残念ながら2017年から改修工事がはじまるため、しばらく入場することができなくなります。
都をどりの衣装は毎年あたらしいデザインが創作されます。会場では歴代の衣装が展示されているので要チェックです。
都をどりで舞妓さんたちが着た衣装は和小物へリメイクされ、会場で販売されます。女性への京都みやげには最高ですね。
会場では、過去の都をどりの告知ポスターがずらり展示されています。これらはみな著名な日本画家に依頼して描かれたもので、ほれぼれするような芸術品ばかり。踊り・建築・庭園・和小物・絵画と、まるで日本文化の博覧会のような「都をどり」。訪れる外国人観光客の数も年々増えているようです。
都をどりの開演前、会場では祇園甲部の芸妓さんがお茶のお点前を披露してくれます。お茶席の利用には別途チケットが必要ですが、お手伝いさん役の舞妓さんが客席までお茶を運んでくれるとあって、毎年大変な人気を博しています。お茶席での芸妓さんの頭は、かつらではなく地毛で髪を結います。舞妓さんの髪型と微妙に異なるので比べてみると面白いですよ。
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お茶と一緒にいただくお菓子は地元京都の老舗菓子店が都をどりのためにつくる限定品。陶製の菓子皿はお土産として持ち帰ることができます。毎年このお茶席に通いつめて、菓子皿をコレクションする人も!
いよいよ本番…!8つの演目が流れるように披露されます
「都をどりはー」「ヨーイヤサー」舞妓さんたちの掛け声で第一の演目がはじまります。この演目は「置歌(おきうた)」と呼ばれ、これからはじまる物語の全体を説明する序曲の役割をはたしています。
置歌が終わると、全員参加で踊る華やかなフィナーレまで8つの演目がノンストップで続きます。幕を降ろさずに背景を変えて舞台転換するという演出によって、観客は高揚感をとぎらせることなく、最後まで舞台を楽しむことができるのです。
「祇園をどり」の舞台となる花街・祇園東は、実はもともと祇園甲部と同じ「祇園町」の一部でした。明治時代に独立した当時は「祇園乙部」と称していたのですが、「乙」という名は「甲」よりもレベルが低い印象を与えかねないという懸念もあり、戦後になって「祇園東」と名称を改めました。
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祇園東は、京都ではもっとも規模が小さい花街です。ここ数年ほどは、舞妓さんの数も5名前後でいったりきたり。芸妓さんとあわせても20名を超えることがない状態が続いています。
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だからといって他の花街より芸事が劣るわけではありません。「踊り」のように大人数が必要な舞台では、たとえ新人でもどんどん出番がまわってきます。それだけたくさんの稽古と場数を経験できるわけですから、舞の技量はもちろん、お客さんへの魅せ方や舞台度胸も身についていきます。「少数精鋭」が祇園東の特徴といえそうですね。
祇園をどりの開催期間は毎年11月1日から10日まで。京の町に秋を運んでくれる風物詩です。踊りを告知するポスターが町を飾るころ、路地をふきぬける風は一気に秋らしくなります。踊りが終わると、もう冬は目の前です。
「祇園をどり」は、公認流派である藤間流で振り付けされています。演目の特徴は、良い意味での“親しみやすさ”。上の映像(2012年)の演目をみると、お座敷遊びの一つとして有名な「金比羅船船」や、まるで江戸の芝居小屋でみられるような粋な男芝居など、誰もが気軽に観劇できる内容ですね。プログラムを見るかぎり、最近はこの傾向が続いています。
舞台のラストを飾る「祇園東小唄」のあでやかさは素晴らしいものがあります。舞に使う扇子を指にかけてくるくると回す振り付けは、祇園東小唄でおなじみの光景です。フィナーレでは、すべての舞妓さん芸妓さんが舞台で正座をし、深々とお辞儀をされます。この光景がなんだか歌舞伎や落語の口上をイメージさせるので、客席にいる外国人の方はとても感動されるようですよ!
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ちなみに祇園甲部や宮川町など大きな花街の踊りでは、客席にむかって正座でお辞儀するようなことはありません。祇園東という花街がとても庶民的であることがわかりますね!
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祇園甲部に次ぐ規模をほこる花街が宮川町です。祇園町より南にくだった、鴨川と建仁寺のあいだにある「宮川筋」という狭い地域に、京都でも屈指の美観をほこる味わい深いお茶屋街が広がっています。
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宮川町そのものは小さな町です。でも在籍する舞妓さん芸妓さんの数は祇園甲部にもひけをとりません。京都、いや日本でもトップクラスの人気をほこる花街といえるでしょう。
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宮川町が人気である理由のひとつが、「美人の舞妓さん芸妓さんが多い」ということ。なぜ宮川町に美しい舞妓さんたちが集まるのか、花街の住人のあいだでも「謎」とされています。
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京の町に桜色の風が吹き抜けるころ、通りのあちこちで「京おどり」を知らせるぼんぼりが立ち並びます。
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お茶屋さんの軒先にも京おどりを知らせる提灯とポスターが。
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京おどりの会場となるのは「宮川町歌舞練場」です。