初めての京都観光!じっくり京都の歴史を感じる&学べるおすすめ観光コース紹介♪
京都観光は、じっくり楽しもう!
京都は、遷都してから明治維新で東京に御所が移るまでは政治の中心でもあり、仏教文化の栄えた都です。東西南北の広がる京都を観光しようとすると何日も滞在することになるので、決められた日数で観光するためには、ある程度観光コースを決めておかないと回りきれません。それだけ、寺社仏閣が四方にあり見どころも多いのです。
今回は、貴族から武家の社会となり現在の日本文化の礎を築いた「足利将軍ゆかり」の歴史スポットをぐるりとご案内していきます。『応仁の乱』『明応の政変』以後は、戦乱と下克上によって大名が覇権を争う混沌とした時代に突入します。足利将軍が廃立されるまで、多くの功績を遺した足利将軍家は、この京都にたくさんの素晴らしい遺産を残したのです。
嵯峨野嵐山の中でも人気スポット「天龍寺」
吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が創建したのがこの天龍寺です。足利尊氏は、自分が将軍となり権力を手に入れるために鎌倉幕府が邪魔でした。後醍醐天皇を利用して倒幕しましたが、あっさり後醍醐天皇を裏切り、強引に征夷大将軍となり室町幕府を開きました。
後醍醐天皇は、武士に政権を与えることは絶対にしない「武士政権否定派」だったので、朝廷が政権を持つべきと考えていました。朝廷の独裁政権を許してしまうと「鎌倉時代の土地の所有関係がなくなり、天皇自らが決定するため、下手をすると所領が奪われてしまう」可能性が高くなり、武士は朝廷の言いなりになってしまうかもしれないと考えたのです。
お互いに志がどこかでずれてしまい、袂を分けることになりましたが足利尊氏が本当に後醍醐天皇を嫌いであったのなら、こんな素晴らしい寺院を建立したとは思えないのです。お互いに自分が政権を持つことで世の中を変えたいという気持ちは同じだったかもしれません。
『曹源池庭園』は、日本で初の史跡・名勝庭園指定されていている庭園で、初夏にはあじさい、秋は紅葉が見事で人気のあるスポットです。作庭は夢窓国師で、700年経っても色あせる事のない美しさは、日本の伝統美そのもの。世界文化遺産に登録されている天龍寺ですが、この庭からも足利尊氏が後醍醐天皇をどれだけ尊敬しており心から菩提を弔ったか感じられるのではないでしょうか。
ちょっと一息入れるなら「新八茶屋」
元祖抹茶ソフトのお店の「新八茶屋」は海外のジェラートコンクールで入賞しているお店なので、ジェラートも大人気。女性だけでなく、男性も食べたくなってしまうと評判の美味しさ。嵐山駅からも近く嵐山散策するなら絶対に立ち寄るべき一軒。
プレミオピスタチオが人気で、ピスタチオのコク、香りがとても心地よく感じます。ほかにも、桜餅ジェラートなど、ここでしか口にできないものがたくさんあるので、いくつも食べたくなるほど!桂川をながめながら、味わってください♪
これぞ北山文化の真髄「鹿苑寺(金閣寺)」
金閣寺は学生時代に修学旅行で訪れる人が多く「金閣寺はキラキラしている」「三島由紀夫の小説でも有名」と認識している人も多いと思います。どうしても「勉強に一貫」として金閣寺を見てしまうので、本来の素晴らしさが分からず大人になってしまうには本当にもったいないことです。
参道か広く、他の寺院とは異なる雰囲気を感じられます。日本の代表として明国からの使者を招ねき入れ、迎賓館の使用をしていた関係もあり、馬や人が多く歩ける広さは「この先にはどんなものがあるのか」と思わせる必要があったのでしょう。
天皇の御幸や諸国の大名を招き、ここで接待をしたということは「足利家が将軍として権力をもっている」ことを暗に示し、海外からの客人には「日本は小さいながらも素晴らしい文化と技術を持っている」「交友関係を持つことは利益になる」など、金閣寺で示したといわれています。
誰がみても迫力のある「金」でできている金閣寺は、有無を言わせない圧力と権力の象徴であったのです。そう考えると、この金閣寺があったからこそ、明国との貿易が盛んになり、今の日本文化に影響を与えたとも考えられます。そう思って、ここに来ると美しさだけでない足利義満のこだわりが理解できるのではないでしょうか。
ランチタイムは「権太呂 金閣寺店」で決まり!
創業明治43年と京の老舗の「うどん屋」さんです。「きぬかけの道」沿いにあるので、こちらでランチを食べたら「龍安寺」にそのまま向かえます。金閣寺は敷地が広く見どころが多いので、散策に時間がかかります。一旦お昼を食べてから、また観光の続きをしましょう。京都らしい店構えで、そばにうどん、おばんざいが食べられます。
そば好きならきっと満足してもらえる!と評判が高く、自慢の出汁を使った京風うどんすき「権太呂鍋」は人気。出汁は取り寄せもできます。
室町幕府を感じられる「相国寺」
こちらには室町幕府代々の将軍像があり、戦国時代に突入するまでに活躍した室町幕府をより感じることができます。観光スポットの中では、あまり有名ではありませんが金閣寺・銀閣寺を観光するならここにも訪れておきましょう。
室町幕府3代将軍『足利義満』が開基した寺院で、金閣寺、銀閣寺は相国寺の塔頭です。それぞれに素晴らしく見ごたえがあるのですが、その大元がここであることはあまり知っている人は少ないようです。こちらの法堂は豊臣秀頼が寄進し造られた事も、歴史ファンにはお馴染みでしょう。天井に大きな『鳴き龍』が描かれています。特定の場所で手を叩くと、床と天井の反響がとにかくすごいです。
狩野光信の『鳴き龍』だけでなく、足利義満の木像が安置されていますのでこれもじっくりご覧ください。この法堂は、特別拝観の時のみ公開されます。毎年行われる拝観期間をお見逃しなく。
日本の美を求めた「銀閣寺」は足利義政のロマンだった
応仁の乱は、義政に跡継ぎができなかったために、次期将軍を巡る争いが起こったともいわれています。優美を愛し、争いや政治には関心がなかった義政は、自分が生きているにも関わらず醜い争いをする人々に愛想をつかせたともいえます。
無事に嫡男が生まれた後は、妻の富子に尻を叩かれるように政務をこなしますが隠居し、義尚に将軍の座を譲ると、子供と妻を将軍鄭に残して自分は趣味に没頭するかのように銀閣に逃げていきました。
銀閣寺垣と呼ばれる高い垣根と狭い参道にすることで、垣根に咲く四季折々の花と樹木が絶妙な美しさを引き出します。すべて計算された、この造りは「自然の美しさ」「本来の美しさ」を見事に表現しています。
金閣寺と比較すると一見地味な印象がありますが、参道から始まり『向月台』『銀沙灘』のある不思議な庭園までを、目で見る美しさではなく心で感じる美しさを表現したのではないかとも受け止められます。
美しいのは庭だけじゃない「龍安寺」
室町幕府の有力者『細川勝元』により創建された禅寺です。この当時は、禅宗が盛んであったために、多くの禅寺が建立されています。多くの宗派は、政治的な介入を拒みましたが、特に臨済宗は公家や武家との結びつきを強くしたので、手厚い保護を受けたことも関係しています。
細川勝元は『応仁の乱』で足利義政派につき、なんとか自分が実権を握ろうとしましたが肝心な義政は、この争いに嫌気がさして執政を妻の日野富子に任せ、庭園作りや和歌に熱中し銀閣寺を作りあげました。足利義尚が第9代将軍となりましたが、すでに足利家に力は無く、本来将軍を守るはずの畠山、斯波などの各家も没落し室町幕府の終焉をも迎えるようになります。
枯山水の石庭で世界的有名になり、多くの人が国内だけでなく海外からもやってきます。禅寺であることや、石庭の正確な作庭時期に作者、意図などが定かでないため、謎深き庭としても多くの人がチャレンジしています。敷地内の鏡容池(きょうようち)の睡蓮は初夏から夏にかけて美しさ姿を見せてくれます。
京都駅から市バスにて立命館大学前下車 徒歩7分
京福電鉄 龍安寺駅下車 徒歩7分
歴史を感じる旅もまた楽しい
京都は明治維新で東京に転都するまで、天皇と将軍の2つの権力のバランスを取っていました。足利将軍の権威が地に落ちてから、諸大名が覇権を争い戦国時代へ突入します。日本の美しい文化の1つとして、鎌倉から室町幕府への歴史はこんなに素晴らしい遺産をたくさん残しています。京都は、日本の歴史と美が融合した素晴らしい都であることは、今も昔も変わらないのです。